ヤマトタケルを巡る旅

鈴鹿は、ヤマトタケル終焉の地である。

12代景行天皇の次男である小碓命は、熊曾を平定し(ヤマトタケルという名は、このとき熊曾兄弟の弟からもらった)出雲を平定し、やっとヤマトへ戻ってきたと思ったら、父・景行天皇に「次は東国を平定してこい」と言われ、「あまりにもひどいやないか・・・父上はボクなんか死ねばいいと思っておられるのか・・・」と叔母・倭姫命に泣きつく。
(ヤマトタケルは荒々しいことを平気でやってのける青年で、父景行天皇はこの我が子に恐れをなし、あちこちに征伐に行かせた。)
が、父の命令とあらば、いくら嫌でも行かねばなるまい、東国に・・・
そこで、ヤマトタケルを気の毒に思った叔母・倭姫は草薙の剣と火打ち石を持たせてやった。


ヤマトタケルは、東国に行く道中尾張で婚約したり(地方豪族が朝廷に服従したこということ)、叔母・倭姫からもらった草薙の剣や火打ち石で窮地をしのいだり(焼津の地名説話)、后オトタチバナヒメが人身御供になって入水したりなどの事件を経て関東まで行かれ、各地を平定して尾張まで戻ってこられた。

東国へ行く道で婚約したミヤズヒメは、尾張の女であった。
ヤマトタケルは再会したミヤズヒメに
「結婚しようと思ったのに、月のものとは~・・・」
ミヤズヒメは
「長い間あなたを待っていたんやから、月のものがくるのも当たり前やないの~」
と、歌を詠み合うが、結局結婚なさった。
(月経中の女性は神に召された身であるので、接触は禁忌とされていたが、その女性と結婚したヤマトタケルは神として存在していることになる・・・とどこぞに書いてあった。神に召された身とは?・・・黒不浄は死、赤不浄は血と言われる。赤不浄は血のことだが、出血が多量だと死に至る。よって、赤不浄も死を忌み嫌っての不浄だといえる。出血が多いと死に至るのに、女性は月に一度多量の血を流すが、全く命に別状なくピンピンしている。これはおかしい。これは、女性の体には神の力が宿っているとしか思えない。神の力が身の中に宿っているからこそ、こんなに血を流しても元気でいられるのだろう。その神が宿っている女性と接触できるのは神でしかない。ということ・・・か?すみません、あくまでも「・・・か?」ですので(笑)


その後ヤマトタケルは、草薙の剣をミヤズヒメの元に置いて、伊吹の山の神を討ち取りにお出かけになった。
ヤマトタケルは「この伊吹の山の神は素手で討ち取ってやろう。」と仰せられ、その山にお上りになったときに大きな白い猪が出会われた。
そのときヤマトタケルは
「この白い猪は、神の使いであろう。今殺さずとも帰り道で殺してやろう。」
と言挙げなさった。
すると、山の神は大氷雨を降らせて、ヤマトタケルを困惑させ申した。
(神や天皇に言挙げするのは禁忌であった。実は、この山の神の使いであろうと思われた白い猪は、神の正身であったのに、ヤマトタケルは言挙げしてしまったので、困惑させられたのである。先ほどは、ヤマトタケル自身も神として登場していたのに、あっという間に青人草になってしまったような・・・。そういえば「やまとは神ながら言挙げせぬ国・・・」という歌が万葉集だったか何だったかにあったように思います。我が国は神の思し召しのままに栄える国だから、あえて人の言霊が生きてしまわないように言挙げはしないのだ・・・というような意味だったと思いますが・・・。ヤマトタケルの言挙げとはちょっと意味が違いますが、言霊信仰としては同じですね。私なんて、言挙げしまくりなんですけど~♪とか思ったりして(笑)

そして、ヤマトタケルは山からお下りになり玉倉部の清泉(居寤の清泉)でお休みになったときに、次第に正気に戻られた。
そしてそこを出発され、当芸野を通ってもう少し行くと、大変お疲れになり、御杖をついてそろそろとお歩きになった。
そこを名付けて杖衝坂という。




と、杖衝坂という名前が出てきたところでやっと、今日の本題に入ります~(笑)

先日「ヤマトタケルを巡る旅」というバス旅行に参加してきました。
ヤマトタケルを巡るといっても、家の周辺を回るだけで、特に旅行という感じではなかったんですけどね(笑)
でも、行きたいと思っていても、なかなか自分一人では行けない場所ばかりだったので、連れていってもらえてよかったです♪
ということで、ヤマトタケル縁の地や、ヤマトタケルの墓では?という白鳥塚伝承地を巡ってきました。
(ヤマトタケルの話は、実は杖衝坂の後からがクライマックスで、かの有名な「やまとはくにのまほろば・・・」という歌などがでてくるのですが
今回は杖衝坂以降の話は省略させていただきます~)



さて、バス旅行の最初の目的地は杖衝坂でした。
写真で見ると大したことない坂に見えますが、登ってみると結構きついです。
↓杖衝坂の碑と杖衝坂
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伊吹山の神にやられたヤマトタケルの足では、相当辛かったに違いありません(涙)







↓血塚社・・・杖衝坂の上の方にあります。
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ヤマトタケルがケガをして、血が出ている足を洗ったといわれる場所。







杖衝坂の次は、加佐登神社・白鳥塚古墳へ。ここには前にも来たことがあります。一人で(笑)
↓加佐登神社
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御祭神はヤマトタケル。ここにヤマトタケルの傘と杖が収められているそうな。


境内にヤマトタケル像がありましたが、小柄でヒゲぼうぼうの爺さん顔。
そんなんありえるかぁ!ヤマトタケルは30歳で亡くなったはずやぞ!
ということで、写真は撮らず。プンプン。っていうか、いつ見ても軽くショック・・・。
英雄像がぁ・・・(涙)


↓白鳥塚古墳。ホタテ貝型。
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加佐登神社の側にある、明るい感じの古墳です。
本居宣長はここをヤマトタケルの墓の第一候補にしています。
が、私的には、なんとなくここはヤマトタケルの墓ではないような気がします・・・。




次は長瀬神社と武備塚へ。
↓長瀬神社。御祭神はヤマトタケル。延々と歩いて本殿に向かう・・・
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この神社、三叉路の思いっきりサツの位置にあります。
ええんか~?!と思いながら、三叉路の真っ直ぐな参道を歩いていくと、参道の突き当たりにあったのは、拝殿の中の丸い鏡でした。
この丸い鏡が、よろしくない気をガツンと跳ね返しているのかな?と思いました。
そして、この鏡が置かれている拝殿の後ろに、伊勢神宮と同じ様式の正宮が構えられていました。



↓武備塚。長瀬神社の側。
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何がなんだかわかりませんが、この向こうに古墳があります。
亀山藩はここをヤマトタケルの墓としていたようです。






次は、能褒野神社と能褒野陵。ここも前に来たことがあります。一人で(笑)
初めて来たときは、びっくりしました。ここの古墳は、キマしたね~。ググッと。
ヤマトタケルの墓はやっぱりここじゃないの?って思いました。
↓能褒野神社と能褒野陵。
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御祭神は、ヤマトタケル。
この周りにはいくつもの倍塚(陵に埋葬された主人に関わる人や物が葬られた場所)があります。
連理の榊もあります。





↓ググッときた能褒野墓
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しっかり管理されています。
柵を越えて中に入ろうものなら、管理人さんが飛んできて、えらい怒られるらしいです・・・



明治政府は北西地区最大の前方後円墳であるここをヤマトタケルの墓としたようです。
延喜式に「能褒野墓 日本武尊 在伊勢国鈴鹿郡・・・」と書かれています。
だからといって「能褒野という地名のこここそがヤマトタケルの墓だ!」と思うのは間違いです。
能褒野というのは、「広い野原」という意味を持つようです。
しかもここの古墳は、北西地区で一番大きい前方後円墳だから英雄ヤマトタケルの墓に相応しいと見なされ、あとから「そうだ!ここを能褒野墓にしよう!」ということで、ここの地名が能褒野になっただけのことなのですって。
長瀬神社の住所も亀山市何とか何とか字能褒野だそうですしね~。
能褒野という地名もあちこちにあるようです。
ということは、やっぱり私の感もあてにならない・・・???ってことですね。




次は、忍山神社へ。
↓忍山神社
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ヤマトタケルの后オトタチバナヒメは、ここの神主さんの娘さんだったそうです。
ヤマトタケルとオトタチバナヒメ縁の神社ですね♪
と言いたいところですが、なんと!御祭神は、猿田彦神が筆頭。
続いて、天照大御神、天児屋根命・・・そして、須佐之男命や大穴牟遅神まで・・・
幅広い信仰があったのですね、この土地は・・・。
で、なんで、ヤマトタケルやオトタチバナヒメが御祭神じゃないんだろうか?
・・・聞きそびれた。



次は王塚へ。ここもヤマトタケルの墓の候補地の一つ。小ぶりな前方後円墳。
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石碑の後ろが王塚です。
全く管理されていないので、古墳に登れます。
・・・登りました・・・。



この辺りは、明治時代には94基の古墳が確認されていたそうですが、昭和45年には、十数基しか確認出来なくなってしまったそうです。



この王塚見学を最後に、「ヤマトタケルを巡る旅」が終わりました。

この日巡った場所以外にも、白鳥塚伝承地=ヤマトタケルの墓候補はたくさんあります。
はてさて、ヤマトタケルはどこで眠っておられるのでしょうかね~?
謎は深まるばかり・・・のプチ旅行でした。





※上の方にちょこっと書いた古事記のストーリーは、私流超端折り意訳です。部分的に解説したところも私流なので、間違っているところが多々あると思います。ということで、どうかそっくりそのまま信じていただきませんようにお願いいたします(笑)
っていうか、ここは明らかに違うやろ!という箇所があったら是非教えてください~!
どうぞよろしくお願いいたします♪
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by semamama | 2007-08-21 15:14 | おでかけ(近場)